霊操に、ふたつの旗、というのがあります。
この世の価値観(罪につながる価値観)と、イエス・キリストの価値観、このふたつをさします。
どちらを選ぶか、ということですが、当然キリスト者としてはキリストの選びを選びたい。
しかし、選ぶ前に、自分にとっての罪の傾きを見極めなければなりません。
D・フレミングの『霊操の現代的読み方』によると、
人間が誰しも影響を受けてしまう悪の影響は以下の三つだそうです。
- 富の欲を抱かせる(これはわたしのものだ)
- 名誉への望みを起こさせる(わたしに注目してほしい)
- それによって傲慢な人になる(わたしはこんなに優れている)
私にとっては2、3はわかりやすかった。潜在的に目立ちたがり、ほめて~!という人ですので。
しかし、1は、あんまり関係ないかな、と思っていました。あまり欲がないほうだと思っていましたから。とりあえず、食べるに困らなければいい、おしゃれにもあんまり興味もないし。
ところが、このごろ、実は「富への誘惑」というのは、そんな単純なものではないのではないか、と気づいたのです。
「時間」。
たとえば、誰かのために自分の時間を使うこと。これがなかなかできない。
もちろん、自分のしたいことと一致してれば、いくらでもできますが、それはすでに「自分の時間を自分のしたいように使っている」ことと同じです。
「これは、わたしのものだ」・・・「この時間はわたしのもの」。
自分のペースで事を進めたい。誰かに邪魔されるのは嫌。好きなことだけ、好きなだけ。
もっと言えば、家族が病気になったりするのを「心配」するのも本当に相手のことを思っているのかわからない。自分が「心配」で心が乱されるのが嫌、看病で自分のペースが崩れてしまうから、嫌、とか・・・
どうも、このごろ、いろんなことをするのが億劫なのは、年のせいで体力不安があるからか?と思っていましたが、そうでもないのかもしれません。
実行力が無い、と思っていたけど、実はそうではないのかもしれません。
他人のために時間を割くことが嫌だ、という罪深き怠惰。怠け者。
私よりもはるかに年配なのに、奉仕に奉仕を尽くしている知人がいます。
いくつもの病気を抱えながらも笑顔で人のために働く知人もいます。
・・・私は相変わらず、悪いほうの旗の下にいるのかもしれません。