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言い訳

いろんな人がいるんだな、というのがこの頃の実感。あたりまえのことですが。

たとえば、家族が余命1カ月と告知された時に、どう振舞うか、なにを選んでいくかということも、同じクリスチャンでもいろいろ。

その家族、その人の今までの歩みは他人には測りがたいものだと思う。

よかれと思ってしていたことも、空振りということもあり。

先日、若い友人が紹介してくれた ホセ・マリア・エスクリバー神父という聖人の言葉に
「隣人を判断する義務のあるときには、その人の言い訳を探してあげなさい。」
というものがありました。

そういう優しさ。

わたしは、どうだったかな・・・

「言い訳をするんじゃないよ」というのが、けっこう決まり文句だったような気がするぞ。

ごめん、ごめん。ママを赦してくれ。

手抜き

子どもが複数います。今のスタンダードからすると、多いほう。
「お子さんは何人?」と露骨に聞いてくる人はあまりいなくなりましたが、 2,3回会って話しているうちに、なんだか計算に合わない、どっか相手の頭の中にエラー表示が出るらしくて、「お子さんは何人??!!」と、聞かれたりします。
あー。という感じ。
そら来た、来た・・・と。
「偉いわねえ」「すごいわねえ」「大変よねえ」「よくやってるわねえ」・・・
そして、こうなります。
「そんなにお子さんがいるのに、よくそんなこと(教会の奉仕、いろいろ)やる時間があるわねえ」
「はあ・・・」(なぜか、申し訳ない気持ちになる。)

はっきり言って、手を抜いてると思ってます。

家事は得意じゃないし。幸い、几帳面な性格でもなく。

そりゃあ、冷蔵庫様、洗濯機様、乾燥機様、それと、シャトルシェフ様のお助けがなければ我が家の家事は回りません。
肉はキロ単位、野菜も生協の宅配で毎週箱買い、買い物に行くと、「(レシートじゃなくて)領収書は必要ですか?」と聞かれる生活は大変といえば大変ですが・・・お金はもちろん、大変ですけど・・・大変だと思って生活はできませんよね。

家族が協力せざるをえない状況ですので、完璧なんて、誰も期待していません。
下のほうの子が洗ったお茶碗はなんだかお米がくっついているし、パパが干した洗濯物はよじれていたり。まー、仕方ないか、で毎日が過ぎていきます。

先日は、保護者会の時間を間違えてしまいました。

毎日手帳見てるんですが、記入の時点で間違えたんですね。

CPUが限界かもしれません。

でも、家に籠って家事を完璧にできるとも思えないんですね。

教会を訪問する人

今日、夕方のミサに出たんですが、地区会の用事があってしばらく聖堂の入口に立っていました。そうしたら「通りすがりの者ですが、ミサを見てもいいですか?」と、恐る恐る訪ねてきたご婦人がいました。もちろん、どうぞ、とご案内。でもしつこくしたらいけないよね、と「ミサの式次第」という赤い本を貸してさしあげて別席に。
ミサの終わりごろ、すうっと隣に来た黒装束のご婦人あり。うわっ、と思いましたが、主任司祭を訪ねて来たのだけれど、受付とか、いろいろ話がうまく通じなくて神父に会えない、ということで。夕方だし、もう事務も受付も閉まってるから、さて。ミサ後、事務の人を見つけて頼んでしまいましたが・・・
帰宅してから息子に聞いた話では、教区司祭のところを次々訪問して相談事をするご婦人がいて、司祭の間では有名だとか。居留守を使うこともあるとか。
まあ、そういうことはありますよね。
私の知ってる神父さんのところにも、よく電話してくる人はいます。
でも、その神父さんは、自分の都合が許せば電話にちゃんと出ますよ。
正直、迷惑な時だってあるでしょうけどね。
居留守つかったり、気をきかせたつもり?で受付が断っちゃうのっておかしいと思いますよ。
イエス様だったらどうでしょうね。今、この時代におられたなら。メールだってすぐに返信してくれるんじゃないでしょうかね。
教会を訪ねて来る人は、けして気軽じゃないと思う。